HOME > 囍楽老師書院 > きらく老師の言葉|広大無辺な宇宙の中で、二つとない自分が、存在すると言うことの自覚こそ、全ての始まり










  • この広大無辺な宇宙の中で、あなたの存在は偶然だろうか? 
  • あなたは偶然にして今の親から生まれてきたのだろうか。
  • 偶然と思えばこそ迷い生じ。偶然と思えば苦しみもまた増える。
  • しかし、煩悩が有るが故に菩提を得る。それも人間の証。



  • 広大無辺な宇宙の中で、二つとない自分が、存在すると言うことの自覚こそ、全ての始まり。
  • この森羅万象の中で、あなたはたった一人しかいないのである。
  • そのたった一人しかいない自分を愛さずにどうする。そう思いませんか。





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この宇宙で、命が誕生したことだけが、奇跡では無いんじゃ。その命に心のレベルがあって、善悪を知りつつ、生きていることが奇跡なんじゃよ。



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この地球上には、今日の食べることだけを考え、他は子孫を残すことしか行動しない生き物がおる。

ライオンが、シマウマの子を捕食するとき、可愛そうだとは思わない。それが生きることだからじゃ。

人間はどうじゃ。
人間にも、今日食べられれば、それで良い。子孫を残せば、それで良い。そういう人間も確かにおる。

爪に火をともすように蓄えた預金を振込ませ、だまされる方が馬鹿だと笑う者もいる。

その一方で、ソクラテスやプラトン、カント、ニーチェ、人を救済しようとする各宗教の教祖や、孔子や孟子、こうした人達は、食べるだけ、子孫を残すだけに生きてきたわけではない。


目の前の苦しんでいる人を助けようとする本能。これは、命がもたらしているのか。

今日だけを生きるものと、生きるだけではないものとは、何が、違うのか。

命がある。生きている。
それだけではない、大事なもの。それは何か。

それを見つける旅こそ、人としての人生ではないだろうか。



今、生きるということが、改めて問われる時代になっている。
そして、歴史的に、そのことを考える時間が、これほど与えられている時はない。


弟子に人が大事にしなければならない事は何かと聴かれ、孔子が答えた「恕」の精神。 

インターネットの影響でフラット化する時代。誰でもが自由に思ったことを直ぐに発信できる。そこで人心の良い面、悪い面が、今まで以上に浮き彫りになる。


歴史的に、今ほど他人の心情を察する能力が必要な時はないかもしれない。




人間とは何か。自分とは何か。自分の有り様を探す旅こそ、我が人生。





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自分が嫌い。それも立派なことじゃ。あぁ立派じゃよ。




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自分が、嫌いと言うことは、それだけ自分に向き合っている証拠。

自分と向き合い、正直に自分と他人とを見比べているからこそ、自分が嫌いになる。

それだけ、真面目に自分と向き合っているからこそ、悩むんじゃよ。

それだけ真面目に生きている証しじゃ。


自分は立派に行きとると誇りに思えば良い。それを、ほめてやらんで、どうする。

自分で自分を、ほめてやるのも良いことじゃよ。


ほら、鏡に映る自分に言ってごらん。
「お前は、がんばって一生懸命に生きているよ。」と。

そう、それで良いのじゃよ。がんばっている自分をほめてあげなさい。







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おぬしの欠点を許せないほど、宇宙は小さくない。




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まぁ、そういうもんじゃ。くよくよせんで良いんじゃよ。










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幸運は待つ者には訪れず、幸せは探す者には見つからず。




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運の良い人は、引きこもらない。

人や物は一見ばらばらのように見える。じゃが、あるレベルではみな繋がっているんじゃよ。

だから、心と命が動き回ると、周りに影響を与えているんじゃ。
目に見えない渦が起きているんじゃよ。

智恵が劣っても、行動力がある人の方が、知恵者より世の中を変えられるのは、そのためじゃ。

幸せな人は、幸せを探さない。それは、目に見えず、感じることしかできないことを知っているから。

動きながら、幸運に自分を近づけるんじゃよ。

そして、不幸は、だれでも簡単に見つかるために、幸せも探せる気がしているだけじゃ。




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おぬしは、素晴しい愛をもっている。じゃが、持っているだけじゃ、もったいない。



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愛は、自分から外に出した時こそ、愛が何か感じることができるんじゃよ。

愛は蒔いても蒔いても、すぐ消える。
しかし、その中のいくつかから、愛情という芽が出て、大きく立派に育つと絆となる。

愛が人を動かす力は、とても弱い。

何度も何度も諦めず愛を注ぐ。それが愛情。

そして、繰り返しの愛情が絆を生む元になり、家族ができ、仲間ができる。その中にいることこそ人の幸せ。

そうじゃないかな。




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私は、親に愛されていない。
なんだ、おぬしそんなこと心配し取るのか。心配などいらん。



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この世には、親に愛されていないと思う人がおる。
おぬしには、二人の親がおる。そして親にも、それぞれ二人ずつ、合わせて四人の親がおる。

そうやって、五代さかのぼると、六十二人の親がおる。十代さかのぼると、二千四十六人の親がおる。

たった、二百年ぐらいの間に、二千四十六人もの人がいる。
おぬしを今、ここに誕生させるために、これだけの人が必要なんじゃよ。


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その二千四十六人の全ての人が、おぬしを愛さないと思えるかの。

一人や二人の親から愛されないからといって、今のおぬしが祝福され誕生してないとは言えんのじゃよ。

嘘だとおもったら、そう思って、お墓参りしてごらん。みんなの祝福の声が心に響いてくるはずじゃ・・・。

もう、泣くことはない。

それが解れば、おぬしの代から変われば良い。

そうすれば、また繁栄する。それが血脈というものじゃよ。




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「あぁ神よ。私を愛してくれてありがとう」と両手を広げ、天を仰ぐより、自分は生きていても、しょうがない、どうか私をお許し下さいと、地べたに、頭をこすりつけ、七転八倒して苦しむ人間の方を、神は、ただ黙って見ている。

          なぜだか解るかの?


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「あぁ神よ。私を愛してくれてありがとう」と、両手を広げ、天を毎日仰いでも、人間は、なんにも成長せん。

それを誰より、神は知っているんじゃよ。



そして、神が姿を見せないのは、姿を見せれば、全ての人間は天国へ行きたいばかりに、善人になろうとする。なれないと諦めた者は、逃げ惑う。

それもまた、人間を畏縮させ、人を成長させない。

迷いながら、悩みながら、失敗しながら、悔やみながら、挫折しながら、
そうしながら成長する生き物だと言うことを、だれあろう神は知っているんじゃよ。

だから、あなたらしく生きることが、何よりも大事じゃ。そう思わんかな。






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この世の人間は、徳人、賢人、凡人、愚人に分けれるんじゃ。





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徳人は、平素から感得し災いを避ける。

賢人は、小難で大難を察し、大難を避ける。

凡人は、経験して学び、同じ災いは避ける。

愚人は、反省が無く、絶えず他の所為にするため、災いを繰り返す。


徳人は、何があっても自分の不徳だと、すぐ反省してしまう。
それが徳人の生き方。

この徳人が多ければ、世の中から争いはなくなる。全て吸収してしまうからな。

それを見て、徳人は損だと言う者がいる。正直者が馬鹿を見るという者がいる。 じゃが、本当にそうだろうか。

徳人が良いことが本当にないのだろうか。

この世には、德負け。そう徳に負けるという現象がある。解る人しか解らない感じじゃがな。

皆、知らず知らず経験しとるんじゃ。それが解ると、本当に損はどちらか、判らんな。

ただ、難しいのは、同じ者が、時に徳人になったり、賢人になったり、凡人になったり、愚人になったりする。

心を持った人間とは、そういうもんじゃ。

だから生きると言うことは、難儀なんかも知れないな。





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己の不徳に向き合い、もがき苦しみ、その果てに可徳を得る





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自ら進んだ修行道より、避けられぬ難儀を乗り越えてこそ、みえるものがあるんじゃよ。

人は皆、未来は変えられても、過去は変えられんと思っておる。

じゃが、過去は変えられるんじゃ。

あの辛かった日々には、意味がある。そう思った瞬間に、過去は変わるんじゃよ。
どんなに辛い過去でも、価値観を変えることによって、いかようにも変わるんじゃよ。

あなたが今、どんなに辛くとも、決して負けてはならんよ。

今を必ず経験して良かったと思える日が来る。
それが、いかに辛く、恨めしいことであっても。

辛さに耐え忍ぶことが強さではなく、死の直前まで成長する。それが人間の強さというもの。そうは思われまいかな。